近鉄バファローズとヤクルトスワローズで活躍し

近鉄バファローズとヤクルトスワローズで活躍し、引退後はヤクルトの打撃コーチとして“野村ID野球”を支えた、野球解説者の伊勢孝夫さん(72)。2年前に古希を迎え、コーチを“卒業”。今は大阪観光大学野球部のアドバイザーだが、お酒はまだまだ現役だ。

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 現役の時はそりゃ飲みました。ナイター終わりでビール大瓶2本、それから焼酎の水割りを銅製の大きいコップで4、5杯。野球選手は酒豪ばっかりですけど、ワタシも好きな方やから。

 近鉄に入った頃は若手はキャンプの夕食時は禁酒やった。でも、食事は鍋物が多いし、ワタシら若手も何とかして飲みたい。いい方法はないかと考えて、お茶を入れてるアルミのヤカンに、お茶を抜いてサントリーオールドを入れ、水を足して水割りにして、お茶を飲んでるふりして酒を飲んでました(笑い)。

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 ヤクルトでは若松勉とよく飲みました。若松はワタシがまだ近鉄におるころにフリーバッティングしてるとしょっちゅうケージの後ろで見てて、打ち終わったら、「どこにマメができるんですか」とか「どう握ってるんですか」とか聞いてきてた。

 最初はだれか知らんかったから小さい男がうるさいなあと思ってね。ワタシを見いだしてくれた三原脩監督が近鉄からヤクルトの監督になった時に「あいつのバッティングを見て勉強してこい」と言われたらしい。そんな立派なもんじゃないのにね。

 若松とほんとに親しくなったんはその後、彼が活躍する前。オープン戦で愛媛・今治にいたワタシの宿舎へ訪ねてきた。サウナから上がってワタシの部屋に来たんで「君はビール飲めるのか」と聞いたら「いただきます」と言うんで一緒にビールを飲んだ。野球、とくにバッティングの話をずーっとしてましたね。彼はしつこいくらい、ああじゃないこうじゃないと言うてね。しまいには8畳間の四隅を空き瓶が一周並びました(笑い)。

 そんな経緯があったから32歳でトレードでヤクルトへ行った時、一番喜んでくれた。キャンプをやった九州の湯之元で若松と大矢(明彦)に寿司屋に招待されて歓迎会を開いてくれました。

■広岡監督時代のユマキャンプでは大失態

 ヤクルトでは2年目の1978年に日本一になったんですけど、当時の広岡達朗監督は選手は禁酒やという人で。シーズン前にアメリカのユマでキャンプをした時のこと。メジャーのチームとオープン戦をやることになってバスで4時間揺られてフェニックスへ移動。フェニックスに着いたらモーテルのすぐ右隣がバー。それで部屋が一緒やった渡辺進(現・日立製作所コーチ)に金渡してビールを買ってこさせた。

 それで若松を呼んで3人でビール飲んでたばこ吸ってたら、火災報知機がけたたましく鳴ってしまった。見つかったら大変やと3人でベランダへ飛び出してどうしようどうしようって慌てふためいて……なんてこともありました(笑い)。

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 ヤクルト時代に一度だけ悪酔いしたことがあります。名古屋で最終戦が終わってひかりに乗って東京へ帰る、そのわずか2時間の間に若松と大矢と3人で食堂車にある酒を全部飲んでしまったんです。そうしたら東京駅へ着いた時には足腰が立たないほどフラフラ。タクシーで大田区池上の家まで帰ったら玄関でひっくり返ってしまった。目が覚めたらそのまま毛布かけられて玄関で寝てました(笑い)。動かせなかったんちゃいますかね。

 今は一番好きなビールをジョッキ1、2杯で我慢してます。なんでかというたら痛風になってしまった。きっかけは51歳の時、大腸がんで手術をしたこと。手術のために絶食したり食事を再開したりしたら、尿酸値が大きく動いて発症したんです。左足のくるぶしが痛いのなんの。鎮痛剤の座薬を入れても効かず1カ月ぐらい歩けませんでした。それで、徐々に焼酎派に切り替えています。「黄色い椿」っていう香りが独特の辛口の芋焼酎がお気に入り。熱が40度出ようが、グラス1杯ぐらいは飲みます。